勉強には「視覚」より「聴覚」が重要とされる?

納得の理由があるそうです。

以下、ネットニュースより抜粋。

オーディオブックサービス

「audiobook.jp」を運営する株式会社オトバンクが実施した調査によると、なんと私たちは1日のうち平均3.7時間も「耳はヒマ」をしているといいます。

忙しいなかでも自分を磨き、できるビジネスパーソンになるための勉強法として、同社の代表取締役会長・上田渉氏の著書『超効率耳勉強法』より、視覚と聴覚による学習効率についての一節を紹介します。

※本稿は、上田渉著『超効率耳勉強法』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

「人は見た目が9割」勉強するときも視覚が9割なのか?

情報を脳にインプットするときに、視覚と聴覚のどちらのほうが重要なのでしょうか。一般的に、人の認識は、視覚からの情報が83%、聴覚からの情報が11%といわれています。人間が「視覚的動物」であるといわれるゆえんです。

この手の話はほかにもあります。アメリカの心理学者アルバート・メラビアンは、人は言語(Verbal)が7%、聴覚(Vocal)が38%、視覚(Visual)が55%で人を判断していると言っていますし、竹内一郎氏による『人は見た目が9割』(新潮社)では、人は見た目も含む非言語コミュニケーションで9割判断している、と言っています。

これらの話は、要するに、私たちは、情報のほとんどを視覚から得ているということを示しています。このような議論が過去に多くされてきたことから考えると、視覚が最も重要で、聴覚はたいして重要ではない、と思えるかもしれません。

ある意味これは当然のことです。目で見えていることすべてを誰かに言葉で伝えようとしても、それは非常に難しい。画像や動画で見て得ている情報は、そのものを別の人に見せる以外、完璧に伝えることはできないのですから。

しかし、じつは「勉強すること」に限っては話が違ってきます。それは「勉強」がおもに「言葉」を扱うものだからです。思考はすべて「言葉」によって行われており、言葉で思考しない人間はいません。その意味で「言葉」は私たち人間にとって特別な存在なのです。

言葉は聴覚と深いかかわりがある

私たちは文字を学ぶ以前の子どものころから、言葉を学び、話すことができました。文字は音でできた言葉を表現し、記録するために後から作られたものなのです。

じつは、脳内において、言葉は耳と深いかかわりをもっています。聴覚は音の情報を扱う感覚です。これだけ見ると、聴覚は音の情報にしかかかわっていないかのように思えますが、そうではありません。

確かに、耳から入る音の情報を脳にインプットするのが聴覚だと考えればそうかもしれませんが、脳内では、聴覚は音の情報だけではなく、もっと多くの情報を扱っているからです。

人間の脳において、聴覚を扱っている部分は「聴覚野」と呼ばれています。耳から入ってきた音の情報は、まず聴覚野で処理され、その音がどういう音だったかによって、次の処理の過程に移っていきます。

ひとくちに音といっても、歌や演奏などの音楽、滝の音や鳥の声、風の音などの自然音、テレビやラジオ等から聞こえてくる会話など、さまざまな音があります。これらの情報をすべて処理しているのが聴覚野です。

さて、ここで注目してほしい音があります。それは、会話です。テレビやラジオにかかわらず、会話は最初に聴覚野で処理されています。

これはなにを意味しているのでしょうか。それは、聴覚野は「言葉」にかかわる情報を扱っているということです。じつは、この特徴によって、聴覚野は「考える」という行為そのものにかかわっています。

言葉がなければ考えられない

私たちは、物事を考えるために言葉を用いています。言葉がなければ、考えるという行為そのものが大変難しくなります。そのことをわかりやすく説明するために、ちょっとしたテストをしてみましょう。これから私がする質問に答えてください。

「今あなたはどこでこの記事を読んでいますか?」 自分の部屋でしょうか。電車の中でしょうか。会社でしょうか。

いろいろな答えが考えられますが、この質問に対する答えを考えているとき、答えるときには、なんらかの言葉または文章で表現したと思います。これこそが、考えるときには言葉を用いているということなのです。

もしも、言葉を使わないで考えて、この質問に答えようとすると、ものすごく難しいことになると思います。

例えば、絵を描いて表現しようとしても、そもそもどういう絵を描くか、ということを考える時点で、すでに言葉を使っています。言葉がなければ、考えるという行為そのものが難しいのです。

私たちは、言葉を使っていろいろなものを定義し、考えています。例えば、本書の原稿を私はパソコンを使って書いていますが、そのことをみなさんに伝えるためには、「パソコン」など、私が使っている言葉の定義をみなさんと共有している必要があります。

私たちは、言葉を使って世界をとらえ、考え、自分の考えを人に伝えているのです。

言葉で思考するとき聴覚がはたらく

ところで、先ほどの質問に対する答えを考えているときに、頭の中で声を発しながら考えていませんでしたか?

「どこで読んでいるかって? 今自宅の居間でソファに座って読んでいるよ」といった具合に、心の中で話していたのではないでしょうか。

話すといっても、声に出してではなく、頭の中で朗読するイメージです。黙って書類や本を読むときや、あるいは今、本書を読むときにも同様の現象が起きているのではないでしょうか。

こうした「自分の声をイメージする現象」は「音韻表象(おんいんひょうしょう)」と呼ばれています。この音韻表象という現象が起きているとき、脳内ではどのような活動が行われているのでしょうか。流れを整理すると、次のようになります。

〈音韻表象が起きる流れ〉

(1) 文字を目で見る

(2) 脳内の視覚野で文字情報が認識される

(3) 聴覚野で文字情報が音声として変換される(音韻表象される)

(4) 言語野で音声が言語情報として処理される

今、とくに説明をしないで視覚野、言語野という言葉を使いましたが、脳内で視覚を扱う部分を視覚野、言語を扱う部分を言語野と呼びます。厳密には細かい区分もあるのですが、ここではおおざっぱに「そんなものか」と思ってください。

ここで特徴的なのは、文字情報は一度音声情報に変換されてから、言語情報として処理されるということです。それはすなわち、音声が言葉として認識されるということです。

文字情報だけでは言葉としては成立しません。音声があって初めて、言葉は成立するのです。それはなぜなのでしょうか。そのことを説明するためには、私たちは言葉をどのようにして身につけるのか、ということを考える必要があります。

私たちは聴覚から言葉を身につける

私たちは、言葉をどのようにして理解し、しゃべれるようになるのでしょうか。言葉は生まれたときから身についているものなのでしょうか。

生まれたばかりの赤ちゃんは、言葉をしゃべることはできません。赤ちゃんが言葉を身につけていく過程にこそ、その秘密があります。

私たちは赤ちゃんだったときに、お父さんやお母さんが話す言葉をたくさん聴いていました。多くの言葉を浴びるなかで赤ちゃんの脳は学習し、そして初めて言葉を使えるようになります。

このとき、脳内では、話される言葉の音声情報を聴覚野が処理し、言語野が言葉を理解し、話すための情報を学習しています。

ここでみなさんにご理解いただきたいのは、言葉は音声によって身につき、理解され、話されるということです。言葉は音声情報として脳内で処理されているのです。

私たちがなにかを考えているときや本を読んでいるときには、言葉を用いているということは前にお話ししました。言葉は音声情報として脳内で処理される必要があるため、私たちが言葉を扱うときには、無意識に音韻表象を行っています。

つまり、なにかを考えているときや本を読んでいるときには、音韻表象が行われているということです。このときには、先に示した流れのように、聴覚野が働いています。したがって「考える」という行為そのものに、聴覚は深くかかわっているといえるのです。

勉強には聴覚が重要である

今までのお話をまとめましょう。

私たちが勉強しているとき、五感を通じて情報を脳にインプットしますが、その後の情報の記憶や、アウトプットに関しては、言葉を用いて考えるという行為がともないます。そのためには聴覚が必須です。

聴覚は、情報のインプットのためだけに使われているのではなく、私たちの思考そのものに深くかかわる感覚なのです。そういう視点に立って考えると、勉強するときには、聴覚が重要であるといえるのです。

上田渉(株式会社オトバンク代表取締役会長)

PHPオンライン衆知

 

 

「考える」という行為に、聴覚が深くかかわっていたのですね。

勉強になります。

感謝してます。

りくりとりっぷホームページ:http://rikuritrip.net/

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