閃きを生むためには、どうしたら良いのでしょうか?
以下、ネットニュースより抜粋。
成功者や発明家の人生を調べると、共通しているのは「何らかの疑問について懸命に考えたが、どうしても分からず、休息した時、答がふとひらめいた」という点である。
「己有(こう)を知らず、貧これに過ぎたるはなし」と空海は説く。
心にはとてつもない威力が潜んでいる。これを識らずして生きることは何とももったいない、ということだ。
祈りとは心の作用であるが、祈り方には種類がある。
自分や家族の幸福を祈る場合があれば、人の不幸を祈る場合もある。
英国の哲学者でケンブリッジ大学、米ハーバード大学で教鞭をとったアルフレッド・ノース・ホワイトヘッド博士は、祈りに効果が現れる理由を著書『過程と実在』に、次のように綴っている。
「実体とはそれが存在するために、他の何物も必要としない。現実的実質とは、それ自身になることにおいてそれが何であるかの問いを解決する。また、全世界は相俟って各現実的実質を産出する」
これは、哲学である。しかし、量子物理学の概念とも共通する。
量子物理学の世界では「人が見るもの、思い描くもののすべてが創られながら創造していく」という原理で動いている。
その論理によれば、自身が如来と一体化すれば如来の世界が生じ、加持祈祷を修すれば、その威力や効果は存在することになる。
つまり、祈祷を行えば祈祷という世界が生じ、そこに神や仏が顕れる。だから祈祷を行うことで、日常を超えた働きとその効果が顕れることになる。
それは心的なことが物的に現実的実質となるという、創られながら創っていく世界であり、般若心経の「色即是空空即是色」で表現される世界観と一致する概念だ。
■ ひらめきや洞察はどこから生まれるのか
お告げとは、一般的に神の言葉を指す。
神の意志である神託を得る方法は、民族、宗教により異なるが、夢、占い、天変地異、などが挙げられる。
モーゼはシナイ山にて神から十戒を授かった。
聖母マリアは、主のみ使い天使のガブリエルのお告げを受け、神の御子イエス・キリストを宿された。
イスラム教もまた、マホメットがアラー(神様)のお告げを受けたことで始まった。
神の啓示の目的は何か。混迷する人類を救済するためか。あるいは人間社会に秩序をもたらすためだけが、その意趣なのか。
私たちは普段、日常生活の中で思いもつかない発想や情報を受け取ることがある。その多くは困難に直面した時、あるいは創造的活動の中で享受される。
その思いもつかない発想と情報とは、ひらめきと直感である。
この2つはどちらとも「ふと考えが浮かんだ、瞬間に思いついた」という状況は似ている。だが、その観念は全く異なる。
ひらめきとは、直感的な鋭さ、天才的な閃きなど、瞬間的にすばらしい考えが思い浮かぶこと。そして、その答えの理由が分かっていることを指す。
それに対し直感は理論の中で生まれるものではない。
「部下が使い込みをしている」ことを直感した、とか「夫の浮気」を直感したなど、感覚で事象をとらえることだが、なぜ、そうなのか根拠は明確ではない。
しかし、絶対に正しいと確信できる感覚が直感であり、それはヤマ勘やデタラメと異なり、よく当たる。
ひらめきも直感も何かを知るということだが、物事を知る、状況を理解するのに必要なのは観察と洞察である。
仏教では観察(かんざつ)といい智慧により対象を見極めることで、注意して見ること、念入りにじっと見ることを意味する。
つまり、客観的に眺めることで事物の現象を自然の状態のままに見る、それが観察である。
一方、仏教では苦しみから脱するには真理の正しい理解と洞察が必要と説く。
洞察とは、洞察の「洞」は「通りぬく」「悟り知る」が転意したもので「物事を見抜き、見通す」という意味がある。
それは観察のように、ただ客観的に一つの事象だけを見るというのではなく、その背後に関係性や全体性をも理解するということである。
人は五感というフィルターを取り除くことで、現実社会を意識全体の秩序にかかわる微妙な動きの中にある一部として観たり、感じたり、また、洞察やイメージを受け取ることが可能になる。
近年、認知神経学科学の研究で、こうした突然の洞察の背後にある脳のメカニズムについて解明が行われている。
認知神経科学とは、脳を一つの情報処理システムと仮定し、心の働きと脳の働きの対応関係を実験を通じて科学的に調べる学問の領域である。
それによると、洞察には遠隔連想と呼ばれる発想の結びつきがかかわっており、右脳で行われる情報処理により、無意識の連鎖が不意に意識内に浮かぶことで洞察が生まれ、その瞬間、右脳側頭葉が活発な動きを見せるといわれる。
理性で様々なことを分析し、理論立てるのは大脳新皮質の働きによるもので、人類の長い歴史からみれば、ほんの少し前に獲得した知の働きである。
だが、もし私たちは周囲に影響されることのない理性を超える自分自身の主体性を確立した時、あらゆる知識と智慧の領域に入ることが可能になると密教ではとらえる。
それは、すべての背後で動いている大いなる力にアクセスすることを意味し、それがかなうことで知識に偏らない包括的な叡智を得るというものだ。
洞察とは発想の結びつきであり、無意識の連想が不意に意識内に浮かび上がった瞬間、そこに洞察が生まれる。
無の思考状態とは、あらゆる刺激を遮断することで、潜在意識と繋がることを意味する。たとえば、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感を完全に意識から遮断したとする。
すると、五感ではとらえられないエネルギーをキャッチしようとする働きが意識の中で生まれてくる。
感覚を遮断して、潜在意識とつながることで、次から次へとイメージが浮かびやすくなる。
五感の遮断することで、生じるイメージ。これも般若心経における色即是空空即是色の概念である。
だが、感覚を遮断せずとも、五感ではとらえられないエネルギーをキャッチする術もある。
瞑想を習慣としていれば心の安寧が保たれた時、それまで気になっていた問題の解決策がイメージで浮かんできたという体験をした人もいるだろう。
心が喧噪から離れた状態の時、ひらめくのは無の思考状態である純粋意識が潜在意識と融合した結果である。
意識を純粋で清浄な状態に近づけるために密教では伝統的に過酷な修行を重んじる。
過酷な状況を乗り越えることで人の魂は磨かれ、宇宙の創造的なエネルギーを受け止めやすくなるというのが、その理由である。
通常、仕事というものは作業と創造の2つの要素によって成り立っている。もし、作業の効率を重んじれば、創造性が希薄になり、創造性を重んじれば、作業効率が低下する。
空海が編纂した文学理論書『文鏡秘府論南』によれば「意に文を作らんと欲せば、興に乗じて便ち作れ。若し煩に似れば即ち止めて、心を令て倦ましむる無かれ」とある。
創造的な活動をするには、頭が冴えて気分が乗っている時がよく、もし、行き詰まって、アイディアが浮かばなければ、一度、思考を止めて待つ。
何を待つのか――。
天よりひらめきが下るのを待つのである。
だが、天は自ら助くる者を助くの通り、努力なくして成功なく、執念なくしてひらめきはない。
創造的活動に対する継続的な執念こそが無意識の連鎖を生じさせる。
さすれば紫電一閃、不意に意識内に湧き上がる創造的な叡智が、事象を一瞬にして変化をもたらすのである。
池口 恵観
JBpress
第六感というものでしょうか?
潜在意識については、まだまだ未知のことが多いようです。
どんどん新しいことが分かってきていることは、とてもすごいことだと思います。
感謝してます。
りくりとりっぷホームページ:http://rikuritrip.net/