幸せは「質」が大事か?「量」が大切か?

どんなことが幸せなのでしょうか?

以下、ネットニュースより抜粋。

40歳を目前にして会社を辞め、一生懸命生きることをやめた韓国人著者のエッセイが、日韓で累計40万部のベストセラーとなっている。『あやうく一生懸命生きるところだった』という本だ。2020年の「日本タイトルだけ大賞」で大賞を受賞したインパクトあるタイトルに加え、その内容にも「心が軽くなった」「読んで救われた」「人生のモヤモヤが晴れた」と共感・絶賛の声が相次いでいる。
そんなベストセラーエッセイの待望の続編『今日も言い訳しながら生きてます』が1月27日に発売となった。今作もまた、「人間関係は二の次でいい」「結婚は義務ではなく選択」「競争しないのも一つの選択肢」「友達は少ないに限るよ」など、肩から力が抜け、心が軽くなる金言であふれている。今回は、そんな本書の内容を抜粋して紹介していく。

● 「大きな幸せ」は意外と長続きしない

大きな達成感だけで人生が幸せになるわけではない。「これさえ叶えば幸せになれる!」とよく考えるものだが、その幸せもほんの一瞬だけだ。

以前、友人の高級外車を借りたときに、「こんないい車に乗っていたら毎日ハッピーだろうね」と言ったら、友人はこう返してきた。

「最初の3ヵ月だけね」

え、どういうこと?

彼が言うにはこうだ。初めのうちは乗るたびに気分がいいのだが、3ヵ月たつと何も感じなくなると。キラキラした達成感も、それが日常になると特別さはなくなる。

夢に見た大企業の採用試験に合格したら、その瞬間は幸せかもしれない。でもそれ以降も、会社員として働く毎日は幸せでいっぱいなのだろうか?

この人と結婚できれば何も望むことはないと思ったとしても、結婚後もずっと、本当に何も望まず幸せでいられるのだろうか?

そうじゃないだろう。人間とはそんなふうにできていない。

残念ながら、幸せとは持続できる感情ではない。極めて瞬間的な感情だ。だから「幸せは感度じゃなくて頻度」という言葉もある。頻繁に感じられるほうが重要だという意味だ。

● 小さな幸せこそ、人生を守ってくれる

ある大きな目標があるとしよう。簡単にできるものではなく、時間も掛かる目標だ。その目標を達成するまで、幸せになってはいけないのだろうか?

その間、ずっと苦痛とともに生きなければならないのだろうか? 大きな成果だけにとらわれる姿勢は、時に毒になることもある。多くの時間と犠牲を伴うからだ。

それでもし、夢が叶わなかったらどうするのだろう。日常の些細な幸せも何もかもをかなぐり捨てて走り続けてきた、その人の人生はどうなってしまうのだろうか。

大きなことにオールインするというのは、命綱なしで綱渡りするのと変わらない。だからこそ、「小確幸」が必要なのだ。

村上春樹のエッセイから広まった、小さいけれど確実な幸せ。略して「小確幸」。寝る前にかわいいネコの写真を眺めるとか、子どもを寝かしつけたあとに静かに読書をするといった、忙しい日常の中で感じられる「小さいけれども確実に実現可能な幸せ」のことだ。

日常の中の小さな幸せは、大きな目標に向かう長い旅路に耐えうる活力をくれるだけでなく、失敗したときの衝撃を和らげるエアバッグにもなってくれる。万が一、目標が達成できなかったとしても、自分の人生が終わりだという思いに縛られないようにしてくれる。

もちろん、小さくて確実な幸せだけを追い求めるべきだという話ではない。不確かで大きな目標が重要なのと同じくらい、日常の小さな楽しさも重要だという話だ。

これがダメならこれというような、二者択一の話でもない。両方追いながら生きることだって全然アリなのだから。

(本原稿は、ハ・ワン著、岡崎暢子訳『今日も言い訳しながら生きてます』の内容を抜粋・編集したものです)

ハ・ワン/岡崎暢子

ダイヤモンド・オンライン

 

 

小さいけれど確実な幸せ。略して「小確幸」という言葉があるのですね。

私にとっての「小確幸」はどんなことか、考えてみようと思いました。

感謝してます。

りくりとりっぷホームページ:http://rikuritrip.net/

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

最近のコメント