「アイデアが豊富な人」と「そうでない人」思考プロセスの決定的な違いがあるそうです。
以下、ネットニュースより抜粋。
会員数100万人超の「スタディサプリ」で絶大な人気を誇るNo1現代文・小論文講師が、早く正確に文章を読み、シンプルでわかりやすい説明ができる頭の使い方を『対比思考──最もシンプルで万能な頭の使い方』にまとめた。学生から大人まで「読む・書く・話す」が一気にロジカルになる画期的な方法で、仕事や勉強に使える実践的なものだ。本稿では、特別に本書から一部を抜粋・編集して紹介する。
● 優れた人ほど「型」を使って思考している
皆さんの周りで、あるいはメディア経由で知っている、輝くような仕事をなした方々はなぜそのようなことができたのでしょうか。
生まれながらの独創的才能があったのでしょうか。早期からの幼児教育が功を奏したのでしょうか。そうしたものがあることを私は否定しませんが、自分にはそれがないからいたしかたないと嘆く必要はありません。
発想力を伸ばすには型があり、それは自ら学んで取得できるものです。すでに人口に膾炙した表現ですが、「型破り」のためにも「型」が必要です。決して「型なし」の自己流ではなく。
剣道にも空手にも日本舞踊にも歌舞伎にも型があります。棒をふりまわし、手足を突き出し、鬼の形相で「けんか殺法だ」「自由にやるぜ」といっても案外単純にしか体は動いてくれません。
型を知ってこそ、あんな動き、こんな動きへと体が開かれていきます(酔拳でさえ、カンフーの型をふまえています)。
アイディア発想も同じです。「自由に考えていいよ」なんて言われても、全然浮かばなかったり、ありきたりの繰り返しになったりしがちです。そうならない思考の一つの型が〈対比という思考法〉です。
● 天才ピカソも「ゼロ」から創作していたわけではない
「独創性」にも、ふまえるべき先立つ型がある例をいくつか挙げたいと思います。
それこそ「独創性」で知られるパブロ・ルイス・ピカソ(スペイン 1881-1973)ですが、画家で美術教師であった父親の指導を受けています。美術学校にも通っています。
デッサンというベーススキルをきっちり築きあげているわけです。14歳くらいのピカソのデッサンを画集で見たことがありますが、それはそれは見事です。
本人いわく「ラファエロのように」描いていたそうです。先行する「型」があったのです。また、有名になってからも他の作家からの影響を貪欲に吸収しました。
美術史家の高階秀爾さんによれば「ピカソほど他人の作品から影響を受けた画家は少ない」そうです(『近代絵画史 増補版(下巻)』中央公論新社)。
ピカソは「破壊することで創造する作家」「自分の生み出したものさえ壊す」とまで表現されますが、なにより先立つものをふまえ、昨日までの自分さえ自らの対比相手として乗り越えを試みたのです。
ここには明らかに思考の型が、とりわけ〈対比という思考法〉があります。
● 本を読みすぎると「自分の考え」がなくなるのか?
哲学の世界でも、とりわけ「独創性」をもって鳴る人物に、アルトーア・ショーペンハウエル(ドイツ 1788-1860)とフリードリッヒ・ニーチェ(ドイツ 1844-1900)がいます。
彼らはともに、自分の頭で思考することなく本を読みすぎると独創性がなくなるとの趣旨のことを書いています。
ですが、彼ら自身、モーレツに本を読み、自らの思考スタイルを形成した哲学者です。古代ギリシャのプラトン以来の形而上学、理性主義をちゃんと読む。ゼロからの独創ではなく、ふまえるべき思想、対決するべき思想をまず吸収したのです。
理学部数学科に進学した大学生は、フィールズ賞を獲り、自らの名を冠した、それこそ「独創的」な”〇〇の定理”を打ち立てようと夢想するはずです。
哲学科に進んだ私も、私以前にはない「独創的」な学説によって哲学史の教科書に載ることを夢想しました。ですが、そのためにはまず哲学史を学び、先立つ偉大な哲人の言葉を理解することから始めなければなりません。数学も同様でしょう。
(本原稿は、『対比思考──最もシンプルで万能な頭の使い方』からの抜粋・編集したものです)
基本は大切なのですね。
基本となる知識を「型」として、自分の経験や知識を合わせることで、独創的なものが生まれる…ということでしょうか。
勉強は大事ですね。
感謝してます。
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